息
2004.11.17
八木重吉の詩にこんな一節があります。
「いずるいきによび/入りきたるいきによびたてまつる/われはみなをよぶばかりのものにてあり」
息を吸うことにおいても出だすことにおいても、神様の御名を呼んでいく。
生活の節々で神様を賛美していくということだと思います。
その賛美は歌に限りません。
さて、「息」という漢字は「自分の心」と書きます。
歌を歌ったことのある人なら分かると思います。
楽器にも、息を吹き込むものは多いですね。
聖書の中に、こんなことが書かれています。
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)
神様に与えられたいのちの息を、大切に歌っていきたいと思います。
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僕は大学の合唱サークルの中で、準備体操や発声練習の時間が一番好きでした。
温め、ほぐし、自然な息が自然に出てくるように体を整えていくのはとても気持ちよかった。
また、体が楽器であることを知りました。
弦をはじいて生まれた振動がボディーの中で鳴り響くギターのように、
弦を叩いて生まれた振動が箱の中で鳴り響くピアノのように、
弦を鳴らして生まれた振動があの小さな体の中で鳴り響くバイオリンのように、
人間の声も声帯で生まれた振動は体中で鳴り響く。
そして口の空間で幾重にも反射しながら、声として外に出て行くのです。
音楽は物理や生物学といった側面からもきちんとサポートされる現象であり、
僕はそれを空間と呼ぶのが好きです。
電気を介した楽器でも、心にゆとりという空間があればその音色は全然違ってきます。
教会で賛美のためにバンドの練習をするときに、
祈って始めるのとそうでないのとでは全然音が違うのはそのためです。
音楽空間を共有するのはとても楽しいことです。
賛美の空間を共有するのはとても楽しいことです。
礼拝の生活を共有するのはとても楽しいことなんです。
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(難しい説明はできませんが)音の周波数が整数倍になると、倍音という音が聞こえます。
歌い手が歌っていないハズの声が聞こえてくるのです。
昔の人々は石造りの教会で賛美しながら、それを「天使の歌声」と呼んだそうです。
僕もサークルで歌いながら何度も耳を疑いました。不思議でした。
そこに耳をすませながら生まれたハーモニーの美しさはここでは書きあらわせません。
倍音は科学的に説明のつく現象です。
しかし僕は個人的に、それはやはり天使の歌声だったと思います。
私たちの賛美には、天使たちのそれに比べて
罪赦された者の喜びというか、迫力があるでしょう。
その空間が礼拝集団に一つに共有されて、神への賛美としてささげられたとき、
思わず天使も同調して歌ってしまうのだとしたら、素敵なことではないでしょうか。
また、この倍音が複数人で歌ったときに聴きやすかったというのもポイントです。
賛美の生活、礼拝の生活の輪は多くの人に共有されていくのです。
個人的にはそれが宣教だと思います。
(槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」という歌、ぜひ聴いてください。"EXPLORER"というアルバムに入ってます)
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自分の心を大切に、歌っていきたい。
息を大切に、生活していきたい。
まずは自分が、心からの礼拝者でありたいです。
motomutanaka