自分探し

2005.8.9

リーダーシップが苦手だ。
まったくもって、嫌になる。
僕は僕で、一人で気ままにやっていたいのに、
なんで他の人のことまで気にしなくちゃいけないんだろう。
リーダーシップというより、協調性がないのかもしれない。

そうやって唯我独尊、ゴーイングマイウェイかと思いきや、
人が自分を殺していないか、常に気になる。
そこにリーダーシップの不得手がくるもんだから、たまらない。
僕は人を上手く引っぱることができない。
いいようにやってごらん、僕はそれに合わせるから、となる。

チームプレイをするスポーツをやってくればまた違ったかも?
サッカーを一年間やったけれど、あとは中高と卓球部だった
(一応名誉のために言うと卓球はハードなスポーツです、あしからず)。

四人兄弟の長男だったけど、トップに君臨して来たつもりもない。
彼らが嫌な思いをしないように常に気にしていたように思う。
典型的なイイ子、オトナシイ子だったのかもしれない。

そんな僕が教会での働きに一生をささげる決心をする。
言わずもがな、教会はチームプレイの場所である。
そんなこと、出来るのか??
だって、チームプレイだぞ、おい?

今までの歩みを振り返る。

部長として卓球部をまとめる立場に立たされたこと、
生徒会長として頑張ったこと、
寮という共同生活の場で四年間過ごしたこと、
サークルのリーダーになったこと。

部長と言ったって事務的な役割的なことをしただけだし、
生徒会長と言ってもアグレッシブな闘争とは無縁だった。
寮生活をしながらも、その運営に深くコミットする余裕はなかったし、
サークルも、もう一つの方は最後まで不良部員だった。
それでも、こんなにもいろんな道を(これ以外にも)通ってきた。

ぐいぐい引っぱるリーダーシップ以外のリーダーシップが、
僕の内には育っているんじゃなかろうか。
そう考えると楽しい。

たまに、いるだけで和むと言われる。
協調性にも主体性にも疑問符が付くのだけど、そんな時にはチームに貢献できたと思う。

もちろんリーダーには引っぱる要素が必要だ。
でもそれに過信しすぎて失敗した人も多い。

尊敬する牧師が言っていた。
「僕の賜物は、頼りにならないことなんです。だからみんなが真剣に祈る。これは僕の賜物です。」
なかなかこう言う人はいないと思う。

しかしこの言葉は、少なくとも今の僕が簡単に言ってはいけない言葉だとも思っている。
今は、神に与えられたもの(賜物)を最大限に有効に活かして、
最善の奉仕を神にささげようともがく時。
自分に足りないもの熱く祈り求める時だと思っている。

自分にリーダーシップがないことに、借り物の言葉で安住するのではなく、
かと言って自分で何もかも引っぱろうとするのでもなく(その対象は、神ご自身のものだから)という、
ギリギリ精一杯の真摯さで、今この時、ここに立つしかない。

これが「自分探し」なんだろうなと、
「自分探し」に耳タコだった高校時代から七年も経った今、改めて思わされている。

神学生が今さら自分探し?
いやいや、僕は一生自分探しをするつもりですから。




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