安心して

2006.12.1

某キリスト教系高校のチャペルの時間に、合唱サークルで賛美の奉仕にいったときの証。一部加筆修正。

みなさん、こんにちは。motomutanakaといいます。新潟生まれ、新潟育ち、年は26歳です。大リーグに乗り込んだ●坂投手と同い年です。彼は60億円の価値があると判断されてアメリカに行きましたが、僕は天に宝を積むことにして、牧師になるための勉強をしています。天に宝を積むというのは聖書の中に出てくる表現です。あなたの宝のあるところにあなたの心もある、ということをイエス様は言われたんですね。彼にはアメリカでも頑張ってほしいですし、そうやって価値がつけられた実績というものには敬意を表します。ただ、世の中にはお金では買えないもの、お金では価値がつけられないものも確実に存在していて、僕はそちらの方面で頑張ることにしているわけです。

イエス・キリストを自分の人生の主(主とは「ぬし」とか「あるじ」ということですが、キリストを自分の人生の主)として生きる人をクリスチャンと呼びます。クリスチャンが話す体験談のことを証といいますが、品質保証の「証」という字を書きます。今日は「うそ偽りなくこれは本当のことです」と、みなさんの前で証をします。うそ偽りなくということですから、飾ることはできないし、ありのままでしかないのですが、ありのままだからこそ聞いてもらえたら嬉しいです。

大学一年生の終わり頃か、二年生の頃だと思いますが、「クリスチャンって、何?」と聞かれたことがあります。母親のお腹の中にいるときから教会に行っていた僕には、改めて説明することが難しい質問でした。クリスチャンとは、日曜日に教会に行く人のこと、聖書を読む人、お祈りをする人…。確かにそうなんですが、もっと根本的な答えがあるはずでした。「イエス様のことを信じている人」という答えは簡単すぎて、下手をすると表面的な答えにしかならないかもしれないシチュエーションでした。じっくりと言葉を選びながら、僕はこう答えました。

「自分のダメさ加減を正直に認めて、神様の前にそれを差し出す人がクリスチャンなんじゃないか。」確か、こんなふうな答えをしたんだと思います。

自分の弱さ、汚さ、弱点を人の前で隠さないことの難しさなら分かる、でも神様の前に隠さないことなんて簡単じゃない?そう思われるかもしれませんね。隠すも何も、神様はすべてご存知なんだから。

ところがこれがそんなに簡単なことじゃないんです。何もかもご存知の神様の前で、わざわざ自分の弱さを認めるということは、つまり神様に降参することです。でも僕たちは自分の人生は自分で何とかしたいでしょう?

そしてみなさん、自分が好きですか?誰にでも自分自身の嫌なところ、嫌いなところがあると思いますが、それは何とか隠したい、自分で何とかしたい、そうじゃないですか?

でもクリスチャンはそれすらも神様の前に包み隠さず、差し出します。ありのままの自分で神様の前に出てもいいんだということを知っているからです。神様は絶対に受け止めてくれると信じているから、飾らない、うそをつかない、ごまかさない自分自身で神様にぶつかっていっていいんだということを知っているからです。

僕は高校生の頃、自分が嫌いだったとは言わないまでも、不安でした。「自分が死んだら、果たしてどれだけの人が泣いてくれるんだろう。」そんなことをよく考えていました。生徒会長をやったり、声楽同好会で歌ったりピアノを弾いたりしながら、つまり結構目立っていたんですけど、でも考えていることは「僕が死んだら、みんな泣いてくれるんだろうか」ということだったんですね。自分に対して自身がないと言うか、とにかく不安だった。生徒会長でもないし、それほど特技がないパッとしない人、でも底抜けに明るい人。みんなに慕われている人。そういう人と自分を比較しては落ち込んでいたような気がします。

高校卒業後、親元を離れてから僕はしばらく教会に行きませんでした。家族で教会に行くから自分も行くという環境から、教会に行くのも行かないのも自分次第という状況になったからです。いろんな理由をつけては礼拝に行かなかったんです。でもいつもの癖で、寝る前に祈っていたら絶望的な寂しさに襲われて、「神様が遠くへ行ってしまった」と思ったんです。小さい頃から神様の存在は当たり前でしたから、神様が遠くへ行ってしまったということの恐ろしさが分かりました。「ヤバい。」真剣に悔い改めの祈りをして、教会生活の中へと戻されたのでした。

そして教会生活を続けていく中で、自分は自分にうそをついて、無理にクリスチャンらしくしなくてもいいんだということが分かってきたんです。自分に自信がないその不安を閉じ込めて、表面だけクリスチャンらしくやろうとするんじゃなくて、全然クリスチャンらしくない自分を神様の前に認めて、これが僕です、こんな自分ですよ、でも、あなたは受け止めてくださるんですか、愛してくださるんですか、あなたの子と呼んでくださるんですかと、そういう祈りを祈っていきたいと、そう変えられていきました。

この学校の皆さんなら、聞いたことがあるでしょうか。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」聖書の中の言葉です。神様の目には、あなたは唯一の存在、特別で、ユニークな存在なんです。50億?60億?話にならない!あなたには値段つけられませんから。

僕たちは、安心して自分自身を受け入れて、安心して神様の前に出て大丈夫なんです。クリスマスの出来事は、僕たちがそんなにまで愛されているんだということの、これ以上なく確かな現われです。2000年前に何が起こったか。聖書を読んでみてください。聖書の授業でも話されるでしょう?チャペルの時間もあるでしょう?この学校では、普通にこのgood news、よい知らせを聞くことが出来るんですから、学校を大切に、学びを大切にしてください。

今日は、僕が高校生の頃から大学生の頃に経験したことを通して、神様のことを伝えたいと思ってこの話をしました。ほんの少しでもみなさんの心に残ればいいなと思っています。ありがとうございました。



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motomutanaka